義家日記
■嘆きの傍観者になるな!2008年5月16日
朝から国会対策委員会、議院運営委員会、本会議、事務所のミーティング、そして午後は幹事長をしている『携帯電話から小中学生を守ろう勉強会』の後、二本理科教育振興協会の総会に出席し、夜中3時までラジオの生放送。

やっと参議院が正常に動き出した。
正常化がこれほど遅れた責任は重い。
時代はすごいスピードで流れている。
当然、それに対応するために様々な立法をする必要がある。
例えば、立法前は、『マジックマシュルーム』などのドラックは『合法ドラック』なんて言われ、処罰の対象にはならなかった。本当は『合法』ではなく『脱法』なのだが…。
また、関西の大学で大麻が密売されていたことが明らかになったが、大麻取締法では『種』を所持することだけでは処罰の対象にはならない。種はネット世界で、青少年でも簡単に手に入ってしまう。
問題に対応する立法だけではない。
安心できる未来のための制度を担保するための立法や、現状とそぐわなくなった法律の見直しや追加も急務だ。
それが出来るのは、立法府である国会だけなのだ。
政党政治で在る以上、その対立は当然のことだろう。
しかし政党間の対立と、『議論をしない』ことは別だ。
対立は議論の中で行われるべき、そんなことは当然のことだろう。
『政治的無関心』を嘆く前に、立法府が少なくともその責任をまっとうすることの方が先だと強く思う。
あいつが悪い、こいつが悪い、ではなく、これからどうするか、だ。
残すところ一ヶ月の通常国会。
極端に言ったら、遅れてきた分、定例日だけではなく、土日も返上する覚悟で、立法府の責任を全うするべきだと思う。

壁に直面するたびに、俺たちは他にその責任の所在を求める。
でも、責任は自分にもある。
それぞれが、せめて自分の責任を全うしよう、そう考えたとき、壁は消え去る。
それが出来たなら、イジメなんていう悲しいこともなくなるはずだ。

傍観者であってはならない。
嘆くだけなら、誰にでも出来るんだ。
でも、みんなの周りには、みんなにしか出来ないことがあるんだ。
それは一体、なんだろう?
俺はいつもそれを考えながら戦っています。

まだまだ今日も長い。
眠りにつくその瞬間まで、吠えるぞ!

 義家弘介
■具体的一歩2008年5月15日
朝から学校マネジメントの小委員会の幹部会、全日本教職員連盟の皆さんとの会議、清和政策研究会への出席、NPO法人あきらめないの前山理事長と会議、文教合同会議、幼児教育小委員会と、今日も必死に駆け抜けてる。

『教育振興基本計画』の作成が大詰めを迎えている。
これは10年先を見通し、今後五年間の教育方針、教育目標を盛り込むもので、このたび初めて作成されるものだ。
しかし、現在の原案は、例えば具体的な数値目標がないなど、ある意味、非常に抽象的だと言わざるを得ない。
「財政面も含めた裏付けがないと、具体的に書けない」
などの意見もあるが、ようは、現在の財政状況に未来を合わせるのか、希望ある未来を実現するためにに財政再建をしてくのか、そのどちらかだ。
具体的目標を掲げることもなく、ただ「大変だから」としっぽを丸めてはならないと強く思っている。
教育正常化を進めていく一方で、遅れている学校耐震化の問題、教師を支援する具体的手だて、学校マネジメントのシステム構築などの多くの課題を、具体的に、いつまでに、どのように実現するのかを盛り込まねばならない。
それは、教育現場を安心させることに繋がり、ひいては子供たちを守ることに繋がるのだ。もう抽象論はいらない。そんな状況ではないのだ。

みんなは明日の為に、どんな具体的試みをしているだろう?
それは大きなことじゃなくてもいい。
例えば、明日、頑張れるように、今日、いつもより早く寝る、とか、どんなことだっていいんだ。
さっきも書いたけど、今の苦しい現状に明日を合わせるのか、今日よりも笑顔で入れる明日のために自己再建をしていくのか、そのどちらかだ。
俺は明日のために、今日と向き合う。
明日が、今日と同じなら耐えられないから…。
まだ今日という時間は残っている。
小さな具体的行動を、明日のために残そうぜ。

『思考』より『試行』!
動き出さなきゃ始まらない!

 義家弘介20080515
■種2008年5月14日
朝8時から、特別支援に関する小委員会、9時25分から国会対策委員会、議会運営委員会、本会議、そして昼から学校マネジメントに関する小委員会、1時から少子高齢化・共生社会に関する調査会に参加し、今やっと小休止。
ふっと気がつくと、朝から土砂降りだった雨があがっていた。
少しだけ、嬉しい気持ちになった。
雨が止んだことに、嬉しいと感じた自分に…。

どんな日常にも、優しさや喜びの種は散らばっている。
もちろん、悲しみの種だってある。
そのどちらに目を向けるのか。
それだけで、一日はずいぶん違うものになるように思う。
俺は前者を捜している。
みんなはどっちだ?

 義家弘介
■天災2008年5月13日
12日午後二時二十八分、中国四川でM7.8の地震があり、現在分かっているだけでも四川省だけで8533人もの死者が出ている。
この地震の影響で学校も倒壊し、ある中学校では900人近い児童が生き埋めになっている。彼らの安否を考えると、居ても立ってもいられない思いだ。
そういえば、先週の夜中、二回、地震で目を覚ました。
地震大国である日本だが、その対応は十分だとは到底言い難いのが現状だ。
例えば学校耐震化の問題。
まだまだ耐震基準を満たしていない学校はたくさんある。俺自身、文教科学委員会でこの問題を追求したが、「現在、進められている」という答弁だった。たしかに進められている。しかし現実は途上。ほとんど進んでいない地域もあるのが現状なのだ。
子供たちの安全と共に、学校は災害時の地域拠点になる。その拠点がそのような現状では話にならないだろう。
天災に予定は立たない。
それが起こるのは『今』かも知れない。
学校適正規模化も含めてしっかりと議論し、すぐにでも具体的に着工する必要がある。
いや、必要と言うより、それが地域への責任だ。
そして、その予算を担保することは国の責任でもある。

みんな、自然とか、天災の前では、俺たちはちっぽけだよな。
どんなに悩んでいる人でも、どんなに幸せな人でも、時にそれは一方的に飲み込まれてしまう。
それは今日かも知れないし、明日かも知れないし、寿命までないかも知れない。
つまり、分からないんだ。

「生きる意味が分からない」

そう嘆いているみんな。
それはきっと正しいって俺は思うよ。
だってそうだろう?
全てが分かってしまっていたら、全てが決まってしまっていたら、一体、何をすればいいというのか。
分からないから、探せる。
探し、集め、創ることができる。

俺は今日も探してる。
集めてる。
創ってる。

その先に何が出来るのかは分からないけど、それはきっとちょっとでも未来に繋がるものになってると信じてる。

 義家弘介