1971年3月31日(37歳)
 長野県出身 O型 牡羊座

参議院議員
東北福祉大学 特任准教授
北海道芸術高等学校 チーフアカデミックディレクター
前 内閣官房教育再生会議担当室 室長
元 横浜市教育委員会 教育委員

《参議院議員》

○参議院所属委員会 (順不同)
文教科学委員会
議員運営委員会
沖縄及び北方問題に関する特別委員会
少子高齢化共生社会に関する調査会

○党役職 (順不同)
広報本部文化スポーツ次長
青年局次長
青年局学生部副部長
豊島区顧問
無所属の会青年局次長
学校マネジメントに関する小委員会 事務局次長
頑張る学校応援団 幹事

《雑誌連載》

集英社LEE『読者のお悩み相談室』
角川春樹事務所・Popteen 『POP&義家先生のお悩み相談BOX』
リラク月刊情報誌・美楽 『教育乃学』
月刊アミューズメントプレスジャパン『ヤンキー母国を憂う』
《ラジオ》

ニッポン放送系列 『義家弘介の夢は逃げていかない』 (毎週日曜24:00〜25:00 生放送)
メイン・パーソナリティ
エフエム横浜 『Y-Y-Y』 (毎週金曜25:00〜27:00 生放送)
メイン・パーソナリティ
《著書紹介》

「不良少年の夢」(光文社)
「ヤンキー母校に生きる」(文芸春秋)
「まんが熱血!ヤンキー先生 母校と泣いた日」(ぶんか社)
「ヤンキー先生のたからもの 天使の詩」(光文社)
「ヤンボコ 俺が北星余市を去るまで」(文芸春秋)
「君はひとりじゃない ヤンキー先生の直球メッセージ」(大和出版)
「私の夢 俺の希望」(PHP研究所)
「子どもが見えない」(ポプラ社)
「ヤンキー先生の教育改革 すべては子どもたちのために」(幻冬舎)
「不良少年の夢 ヤンキー先生の熱き挑戦」 (光文社)
「生きる」 (スターツ出版)
「いま、暗闇でふるえているきみへ」 (光文社)
「ヤンキー先生の子供がわからない親たちへ」 (祥伝社)
「人生の黒板」 (アスキー)

■1971 年3月31日 3月31日長野県長野市に生まれる。
■1987 年 高校2年の春、暴力事件を起こし、放校処分を受ける。
同時に親からも絶縁され、児童相談所を経由し里親の元へ引き取られる。
■1988 年 廃校の危機を迎えた北星学園余市高等学校が、全国から中退者を受け入れるという新聞記事がきっかけとなり、傷心の思いをひきずりながら、同校の門を叩き編入。
■1990 年 明治学院大学法学部入学。
■1993 年 大学四年の秋、オートバイで交通事故を起こし、内臓破裂で生死をさまようが、高校の恩師、安達先生が駆けつけ、手を握り締め励まし続け、奇跡的に命を取り留める。意識を取り戻した後は、自らの考え方・生き方を変え、教師になる決心をする。
■1999 年 採用試験に合格し、母校の教師になる。
■2003 年4月 北星学園余市高等学校の過去15年間のドキュメンタリー番組『ヤンキー母校へ帰る〜超不良が母校の熱血教師に!日本一泣ける卒業式まで・・・』が放映される。
■2003 年10月 TBS系列ドラマ『ヤンキー母校に帰る』(竹之内豊主演)が放映され、話題を集める。
■2005 年3月末日 母校北星学園余市高等学校を退職。
■2005 年4月 横浜市教育委員会教育委員に就任。
■2006 年4月 東北福祉大学特任講師に就任。
4月〜12月、警察庁「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」研究員に就任。
■2006 年10月 内閣官房「教育再生会議担当室」室長に就任。
■2007 年4月 東北福祉大学特任准教授に就任。
■2007 年6月 『教育再生』を提言から実現のために、参議院選挙立候補を決意。
内閣官房教育再生会議担当室室長と横浜市教育委員会教育委員を辞任。
7月29日、参議院選挙当選。『教育再生』実現への新たなスタートをきる。